面接官は就活生のどこを見ているかの最後の記事になります。最終的に面接官も人間なんで結局は一緒に働きたいと思うかどうかということです。
カンダも就活しているときも耳にはしていましたが、あまりピンとこなかったのが事実です。でも社会人になってみてこのポイントは非常に重要であると感じています。
[Part-2][Part-1]
結局は一緒に働きたいかどうかに限る
このポイントは抽象的だし、定量的に測れるものでもありません。評価対象は個人の人となりになってしまうのですが、やっぱり企業は人間の集合体なので仕方がないとカンダは感が増す。
一緒に働きたい人ってどんな人か
じゃあ一緒に働きたいと思える人ってどういう人かと言えば、
①自分の部下になったときに成果を上げてくれそうか
②自分の同僚・チームの一員になったときにスムーズにコミュニケーションが取れそうか
③一緒の空間で過ごしたときにストレスがなく、仕事をしながら楽しめそうか
といったようなもんです。①と②についてはPart-1・Part-2にて記載した通り、その人の仕事に対する能力がメインです。
③は完全に人となりです。でもこの③がとても重要になってきます。そのため、この記事では③について注力していきます。
一緒の空間で過ごしたときにストレスがなく、仕事をしながら楽しる人間とは
これは各企業の文化によると思います。
カンダが勤める我が社を例に取ってみますが、部署によって多少の違いはあるものの比較的堅苦しい上下関係はなく、それでも業務上体育会的適性が求められる企業です。
そのため、黙って決められた仕事を黙々とこなして成果報告だけして終わりのような人はあまり合いません。エンジニアといえどもただただ設計図書を作成することが仕事ではないのです。
つまりどちらかと言えば自分で発信してコミュニケーションを取ってことを進めていく、情報を展開して人を動かし取り纏める、自ら立案して新たな業務フローを構築するといったことなどが出来る人間がプロパーには求められます。
言ってしまえば黙々と設計図書を作るだけの仕事であれば、技術者派遣の方々がスペシャリストなのでその人に進む道とゴールを明確に示し、成果物を定期的にチェックしながら管理さえすれば出来るのです。
すでにこの20年の間に、こういった設計図書・図面の作成だけに注力した仕事というのは単価の安い外国に大部分を依存しています。
よって上述の適性がない人は一緒に仕事をしてもおそらくは楽しくなくなりますし、お互いストレスを感じることになるです。
結局コミュニケーション能力が高く、周りに好かれている人が当然企業にも好まれる
特定の企業に入るだけで言えばコミュニケーション能力が高い人が好まれるのは上述の通り至極当然です。往々にしてコミュニケーション能力が高い人はその場その場にあわせた受け答えや仕事ができる可能性が高いからです。
なので学生の頃に皆に好かれてる人たちは総じて就職活動は上手くいきます。そもそも面接官も人間なので、一緒の空間・同じ仕事をして楽しそうな人が欲しいと感じるからです。
一方で、学力も高く、サークルにしてもアルバイトにしても、どれもそつなくこなしている(こなしていた)のに就職活動がうまくいかない人は、自分が周りからどう思われているのか実はわかっていないタイプです。
はっきり言えば、裏で色々言われているタイプです。
就職活動がうまくいかないのであれば、辛いのを我慢して周りの人間に率直な意見を求めるしかありません。
誰もが自分を否定されるのは苦痛ですが、それでも企業に入りたいならば必要な出費の一つと割り切り、見てもらうのがいいでしょう。
ですが、カンダ個人の意見としては、そういうタイプの人は初めから自分で事業を興していくほうが向いていると思っています。組織で動くことに馴染めない人が日本の旧態依然とした企業に入ってもお互い不幸になるだけなので。
まとめ
・一緒に働きたいかどうかは、一緒の空間で過ごす・同じ仕事を際にストレスがない、楽しめそうかどうかが判断基準
・結局はコミュニケーション能力が高く、皆に好かれている人は就職活動も上手くいく
・必ずしも学力が高く、物事をそつなくこなせている人が就職活動もうまくいくとは限らない
・もし自分の就職活動がうまくいってないのであれば自己評価と他者評価に乖離が大きくあるので、辛くても周りに忌憚ない評価をしてもらう必要がある
余談
【コミュニケーション能力が高いだけの人は若いうちしか活躍できない?】
企業は入ってからがスタートであり、ゴールではありません。コミュニケーション能力が高い“だけ”の人は入社してから苦労するよ、という類の話です。
カンダはコミュニケーション能力が高いわけではないので、若いときはうらやましくも思ったりしましたが、今はそうでもありません。
というのも結局のところコミュニケーション能力を含んだ総合的な能力(豊富な知識量、遂行能力、管理能力)、もしくは他の追随を許さない一点突破の能力(専門的知識、専門的なスキル)の高さのどちらかが最終的には響いてくるからです。
若手のうちはコミュニケーション能力が高いということだけでチャンスは多くめぐっくるし、そもそも若いうちは評価者の眼もハードルが低い状態のため、そこまで大きな成果を上げなくても評価されます。
しかし、5年も経てばその状況は一変します。
なぜなら若いうちの評価は必ず、「(若いのに)すごい」、「(若いのに)優秀だ」という、隠しワード(若いのに)が存在するからです。
それを真に受けて自分は出来るんだと勘違いして、身の丈に合わない仕事ばかりが降ってくるようになると、突然その逆になり、
「(若いときは)良かったのにダメになっちゃった」
と手の平をかえされてしまうのです。
カンダの周りも少なからずこういった人たちは存在していたので、自分はそうなるまいと日々精進しています。
また、自分の評価を勘違いをして高い勉強代を払った人にも遭遇しました。
その方は所謂日本法人の外資企業から海外のベンチャー企業に転職し、家族と共に海外に旅立って来ましたが、結果として3年で戻ってくることになったのです。
その友人は留学経験もあり、自己評価として総合的にみてその業界の高いスキルと遂行能力+語学力があると踏んでいるようでしたが、私が話をしていて感じたのは、“体力と根性とコミュニケーション能力に特化”したタイプに思えました。こういう方は総じて30代半ばになるとガクッと成果が出にくくなるのです。
というのも、こういった特化型の方は長時間労働、長時間の時間的拘束を受けやすい仕事の仕方であるため、家族が増えたり・体力が落ちたりすると適応できずに成果がでにくくなってしますからです。社会人になって10年くらいは特に問題がない場合が多く、自覚するにも時間がかかります。
それでもその経験自体は貴重なのでいまでも日本で活躍されていますが、高い勉強代だったとのことです。
参考になれば幸いです。皆様が小金持ちになることを祈って。
カンダ